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妊娠発覚から妊娠後期までの身体の変化について書いてきました。
今回は続き(最終回?)の出産についてです。
前回までのあらすじ
ずっと順調に何事もなく成長していると思っていた赤ちゃん。
その子が妊娠後期の検診で小さいと言われ毎週検診で経過観察することになりました。
毎週診てもらってもやはり小さいと言われ不安が募る日々。
お腹が大きくなってきて動きづらくなる毎日を過ごす中、ついに出産の日を迎えます…
妊娠中、不安に思うことってたくさんありますよね。
わたしも妊娠後期に小さめと言われて血眼になって大きくなる方法や体験談をネットで探しまくりました。
同じように不安な妊婦さんの心がこの記事を読んで少しでも休めれば幸いです。
内診グリグリをした最後の検診
最後の検診は39週5日。
(写真は最後の検診前に撮ったもの)
予定日前の最後の検診では「子宮口全く開いてないのでいっぱい歩いてくださいね〜」と言われていました。
この時初めて内診ぐりぐりと言われるものをドクターにされて悶絶…
内診グリグリとは子宮校を刺激して開いてね~と合図を送ること
ドクターに子宮口が全開(10cmくらい)まで開かないと赤ちゃんが出てこれないと言われ「これだけでこんなに痛いのに耐えられない…」と出産が恐怖に変わりました…
予定日超過で陣痛ジンクスに頼る
最後まで胎児が小さい(最後の検診時2,495g)と言われていたので少しでも大きくなってから出産したかったわたしはギリギリまでお腹にいて良いからねと話しかけていました。
その甲斐あってか予定日超過。
予定日は2019年4月29日だったのですが、生まれそうな兆しはありませんでした。
生まれそうな兆しとは
- おしるし
- 前駆陣痛
- 粘液線 など
ただお腹は明らかに下がってきていたので来たる日はすぐそこに近づいてきていることはわかります。
もしも予定日超過しすぎた場合は促進剤を使っての分娩にするとドクターと話して決まっていたのでそれまでにはどうにか産みたい…!と思い今度は早く生まれてねーと話しかける毎日。
促進剤を使って出産した方から「陣痛の時間長くて地獄だった」と聞いていたのでなんとしてでも促進剤なしで産みたいと思ったので陣痛が来る方法を調べてみると陣痛ジンクスというものがあるのを知りました。
陣痛ジンクスとはこれを試したら陣痛がきた!というジンクス。
医学的に検証されているわけではなく妊婦さんの中でこれをしたらきたよというのが言い伝えられているもの。
陣痛ジンクスと言われているものにはこんなものがあります。
- 階段上り下り
- オルナミンCを飲む
- カレーを食べる
- 焼肉を食べる
- スクワット
もちろんかたっぱしから全部やりました。
(写真は陣痛ジンクスとして食べた焼肉です)
するとついにおしるしが…!
おトイレに行ったら赤いものがこんにちは。
生理が止まって以来赤いものを見ることがなかったので少し懐かしい気持ちになりつつついにきた!と嬉しい気持ちで旦那に報告しました。
出産は突然に
出産の日は突然やってきました。(あたりまえ)
わたしの出産を時系列で書くとこんな感じ。
- 5月1日pm7:00お腹が痛くなるけど普通の腹痛ぽいし全然耐えられる痛み。お風呂入る。
- 5月1日pm9:00痛いけど平気。令和特集の番組を見る
- 5月2日am12:00痛いけど寝れば治るでしょと思い寝る
- 5月2日am2:00お腹痛くて起きる 陣痛チェッカーするけど痛くなる感覚がまばらなのでこれは前駆陣痛だと思って耐える
- 5月2日am3:00旦那が病院に一応電話した方が良いのでは?と言ったので電話してみるが「多分前駆陣痛だと思うから家で様子見てね」と言われる
- 5月2日am4:00〜6:00痛みでのたうち回る
- am7:00痛みの感覚が変わる ここで陣痛だと気づく
- am8:00破水。 あわてて病院に電話して伝えタクシーを呼ぶ
- am8:30病院に到着 気力で病院の受付まで歩くも途中で倒れて車椅子で運ばれる
- am9:00内診 子宮口全開
- am9:30分娩台に乗りいろんな装置をつけられる
- am11:10娘誕生
細かくお話ししますね。(結構長いです)
陣痛〜病院に行くまで
前々から陣痛に気付けるか不安だったのでドクターに陣痛ってどんなのですか?と聞いていました。
ドクターからはこんな感じに聞いていたの陣痛は最初からどかーんとした痛みが来ると思っていました。(バカ)
しかし実際は耐えられて普通に生活を送れる腹痛程度の痛みから始まり徐々に強くなりわたしは陣痛に気付くのが遅れました…
寝て痛みで起きてからスマホアプリの陣痛きたかもを使い始めましたが、最初のうちは自分で陣痛きたボタンを押せるのですがだんだん痛みが増してくるとボタンを押すのさえできなくなって旦那に押してもらいました。
そのときの陣痛の間隔はこんな感じ
(陣痛きたよのスクリーンショットです)
わたしのかかってた病院では陣痛が5分間隔になったら電話してねと言われていました。
7分間隔のときもあったけどのたうち回るわたしを見かねた旦那が「流石に電話したら?」と言ってくれたので病院に電話。
かかっていた病院で意識がないなどの緊急時以外は原則妊婦本人が電話するように言われていたのでわたしが電話しました。
が、めちゃくちゃお腹痛くてのたうち回ってたので全く冷静に話せない…!
もしも…い゛ったい…○○…○○(カードの番号)のゆ…うでず…お腹痛くて、陣痛間隔測ったら7分くらいなんですけど病院行ってもいいですか?(陣痛の波が去ると普通に話せる)
みたいな感じでした。
電話を受けてくれた看護師さんは普通に受け答えしていたので私のような冷静さを欠いた妊婦の対応に慣れているのかなと思います。
「前駆陣痛かもしれないので様子見て無理そうだったらまた電話してね」と言われたので痛みに耐えてのたうち回り続行。
ベッドを蹴ったり、枕握りしめたりして耐えました…
その後も陣痛の波に耐え続け空が明るくなっているのに気づいた頃パチンと音が聞こえました。
そう、破水。
もともと破水に備えてバスタオルいっぱい敷いてたのでベッドは無事でした。
焦りつつも病院に電話するとすぐに来てくださいとのこと。
旦那に伝えすぐにタクシーを呼んでもらい事前に準備していた陣痛バッグと入院バッグを持ちました。
このときわたしは支えなしだと立てないくらい足に力が入らず、旦那に引きづられるような形でタクシーに連行。
タクシーの運転手さんも事情がわかったようで「すぐ着くのでがんばってくださいね」と声をかけてくれたのを覚えています。
病院に着いてから出産まで
息絶え絶えで病院に到着。
気力でタクシーの運転手さんにお礼を言って受付まで歩くも受付で名前を言った瞬間崩れ落ちました。
診察を待つ患者さんが待合室にいたので一瞬待合室は騒然。
すぐに看護師さんが車椅子を持ってきてくれて内診室に連れていかれました。
前の検診でやった内診ぐりぐりが痛すぎてトラウマみたくなっていたのですでにめちゃくちゃ痛いのになぜか内診ぐりぐりに怯えていました
が、内診台に乗っていつものようにチェックされると…
とまさかの言葉。
内診ぐりぐりが無くてホッとしつつももう産むのかという急展開についていけないわたし。
あとから知ったのですが内診ぐりぐりは子宮口に開けよ〜と刺激するためにやるので子宮口全開のときはやられても痛くないそうです。(陣痛で痛いので気づかない)
陣痛室(子宮口全開になるまで耐える部屋)をすっ飛ばして分娩室に運ばれて血圧を測ったりなにやらいろんな器具をつけられます。
すぐに助産師さんがきて次の陣痛の波で息もうねと話してくれますが初めての出産のわたし、いかんせん息みかたがわからない…!
そんな様子のわたしを見て助産師さんが
と声援を送ってくれました。
あの感覚をこの痛みの中やれと…?!と思いましたがわたしがやらない限りこの痛みからは解放されないやるしかないんだと心を決めふんぬーーーと息みました。
上手上手!と褒めてくれる助産師さん。
あのときはなにも思わなかったけど今思い返すとなんか恥ずかしいですね…
陣痛の波に合わせて息みつつ、am2:00頃から一睡もせず痛みと闘ってきたのでこんな大切なときに眠気に襲われました。
わたしは陣痛の痛みがあるときは息み、痛みが去ったときに寝るという器用なことをしていたようです。
(自分の記憶ないけど立ち会った旦那にいびきかいてたと言われた)
だんだんと赤ちゃんが下に下がってきたので痛みが変化。
最初の痛みは酷すぎる生理痛って感じでしたが、このときは骨がめちゃくちゃ痛い。
赤ちゃんが外に出るための道を作るために骨が頑張ってくれてるのわかるけど本当に痛い。
このときテニスボールが登場
助産師さんが腰らへんをテニスボールでえいやと抑えるとあら不思議、痛みが薄まります。
けど助産師さんも他にやることがあるのでずっとテニスボールをやっているわけにはいきません。なので立ち会っていた旦那にバトンタッチ。
が…旦那めちゃくちゃ下手!!!!
テニスボールで押される痛みが増えました。
このとき覚えていませんが「○○(旦那の名前)はなにもしないで見てて!」と言ったそう。
気づいたらドクターがきていて「産むときに会陰がずたぼろになっちゃう恐れがあるから前もって切らしたもらうね」と言われわかりましたと返事。
会陰切開をしてもらいました。
後から聞いた話だとズタズタに切れているよりも綺麗に切れている方が治りも早いし綺麗に治るとのこと。
自分で見えない部分なので今どうなっているのかわかりませんが、きっと綺麗なはず。
切開の痛み?
ないない!腰の骨痛すぎて感じない!
切開をしてもらい息むとすぐにお顔がこんにちは。
「次の息みで身体も出すよ」と声をかけられせーので息むとにゅるるるん
多分今まで生きてきた中で一番のすっきり感。
娘が生まれた瞬間、痛いのどっか行ったんですよ!人体って不思議!
こうして無事に娘が誕生しました。
すぐに娘がうあぁぁぁぁぁと泣いて一安心。
娘の検査をしてもらい危険な状態ではなかったためカンガルーケア。
初めて娘と対面したときは、君がわたしの中に十月十日以上いたのかとなんだか不思議な気持ち。綺麗事かもしれないけどわたしの中で元気に育ってくれてありがとう、生まれてくれてありがとうと思いました。
出産中の旦那の気持ち
深夜のたうち回るわたしを見て、今日生まれるなと悟ったそう。
陣痛きてるねなんて初めて触ったからわからないけど、言われた通りにボタンを夜通し押し続けて寝不足でうとうとしていると破水したと言われ眠気は吹っ飛びタクシーの手配とバッグの準備。
今まで見た中で一番ふらふらになっているわたしを支えタクシーに乗せ病院に行くとわたしだけ内診室や分娩室に運ばれ自分は置いてけぼりにされていたらしいです。
看護師さんに出産に必要な書類の記入などを促され書いているうちに「もう生まれるかも」と言われすぐに分娩室に入る看護師さんと助産師さんがコソコソ「やばいかも」という会話をしていてえ?!妻と子どもが危ない?!と思い涙を流しました。
この会話わたしには聞こえていなかったのですが、あとから助産師さんに確認したら「すぐにも生まれそうなのにドクターがまだきてなくてやばい」(会陰切開はドクターしかできないため)という意味だったとのこと。
そんなことは知らない旦那、万が一のことがあったらどうするか考えているとテニスボールを渡され腰に当てるように言われます。
助産師さんのを見よう見まねでしてみるけどわたしから「なにもしないで見てて」と言われ側で見守ることに。
陣痛の波の合間に白目で眠るわたしをみて意識失った?!大丈夫なのか?!とまた涙。
そんな心配もつかの間会陰をちょきんとするとすぐに生まれ母子ともに健康。涙も引っ込みました。
生まれた赤ちゃんは小さかった?
妊娠後期の検診でずっと小さいと言われていた赤ちゃん。
その子の出生体重は2,676g
大きくはないですが未熟児(2,500g以下)ではなく、出産後すぐに行われた検査の結果身体の問題はありませんでした。
さいごに:陣痛は痛いけどママががんばるしかない
出産中は看護師さん、ドクター、助産師さん、旦那、タクシー運転手さんと様々な人が助けてくれました。誰一人かけてもわたしは出産できなかったと思います。
が、やっぱり最後は自分で頑張るしかないんだなと思いました。
痛いのは長い一生を考えれば一瞬だし、この痛みから逃げるためにも産まなければならない産む最後の方はそんな気持ちで息んでいました。
産むときはぶっちゃけ根性論。頑張るしかありません。
鼻からスイカ出すくらいの痛み…うーん間違ってないけどあってもないかなと思います。
なのでこの言葉に怯えず、果敢に挑んでください。
妊娠中の方が少しでもこの体験談で安らげたらと思い書き記しました。
妊娠後期のお母さん、あと少しがんばってくださいね。